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浄土に…

 「地獄に落ちるわよ」現在ネットフリックスという有料テレビ放送で話題になっているドラマです。昔テレビ界を席巻したあの名セリフ。

 背筋が凍るような響きがありますが、実は私たち浄土真宗の門徒にとって、この言葉は決して他人事ではありません。むしろ、親鸞聖人は一歩踏み込んでこうおっしゃいました。「地獄は一定すみかぞかし」『歎異抄』これは「そもそも私は、地獄の住人であった」という、聖人のあまりにも潔く、そして切実な告白です。なぜ「地獄がすみか」なのか私たちは普段、自分を「まあまあの善人」だと思って生きています。しかし、自分の胸に手を当ててみてください。誰にも言えないずるさ、他人の不幸をどこかで喜ぶ心、都合の悪い真実から目を背ける弱さ……。そうした「煩悩」を抱えたまま生きる私たちの姿を、聖人は「地獄こそが相応しい」と見抜かれたのです。「善人にならなければ救われない」という教えであれば、私たちは一生、地獄への恐怖に震えていなければなりません。しかし、浄土真宗の教えは逆転の発想です。「地獄に落ちる」から「浄土に参る」へ阿弥陀さまという仏様は、「地獄に落ちるしかない、救いようのないあなただからこそ、私は見捨てない」と、すでに立ち上がって私たちを抱きとめてくださっています。自分の力で立派になって天国へ行くのではありません。泥沼のような現実の中で、もがきながら生きる私たちが、そのままの姿で阿弥陀さまの大きな願い(本願)に乗せられていく。その確信が得られたとき、言葉が変わります。「地獄に落ちる」という怯えは、「浄土に参る」という安心へと転換されるのです。最後に「浄土に参るわよ」この言葉は、脅しではありません。「あなたはもう、独りじゃないよ。還る場所が決まっているから、安心して今を精一杯生きなさい」という、仏さまから喚び声です。私たちは、地獄に落ちるほど深い業を抱えたまま、阿弥陀さまの慈悲に包まれて、光り輝くお浄土へと歩ませていただくのです。