先日大阪教区の同朋研修のフィールドワークで大阪城公園に参りました。そこでは昭和20年の大阪大空襲の爪跡が今でも生々しく残っています。「暁をいだいて闇にゐる蕾」これは川柳作家、鶴彬氏の言葉です。 闇の中にあっても、蕾はその内に暁を抱いている。やがて来る光を信じ、まだ見ぬ朝を胸に秘めている、そのような情景が浮かびます。しかし鶴彬氏は、戦時下にあって自由な言葉を奪われ、若くして命を終えられました。この一句の背景には、戦争という深い闇があります。戦争は、人のいのちを奪うだけではありません。人の夢を奪い、未来を奪い、語るべき言葉さえも封じてしまいます。蕾であった多くの若者たちが、花開くことなく散っていきました。壮年から老年の皆さまの中には、戦中戦後の混乱を体験された方もおられるでしょう。空襲の音、食糧難の不安、家族を失った悲しみ。思い出したくない記憶もあるかもしれません。私たちは、あの闇を知っています。だからこそ、戦争の愚かさを語り継ぐ責任があります。浄土真宗のみ教えに立てば、すべてのいのちは阿弥陀如来の大悲に抱かれています。敵も味方もなく、尊いいのちです。にもかかわらず、人は「正義」の名のもとに殺し合ってきました。そこに人間の迷いの深さがあります。戦争とは、怒りと恐れが増幅された結果です。自分を守るために相手を傷つける。しかしその連鎖は、さらに大きな悲しみを生みます。闇の中にあっても、蕾は暁を抱いている。それは、人間の内にある良心であり、平和を願う心でしょう。私たち一人ひとりが、怒りに流されず、違いを認め合い、対話を重ねるとき、小さな暁が芽生えます。阿弥陀さまの光は、すでに私たちを照らしています。闇が深いからこそ、光の尊さが知らされます。戦争の悲しみを忘れず、二度と同じ闇を繰り返さないと誓うこと。それが、闇にゐる蕾を守る道ではないでしょうか。やがて咲く花のために。次の世代の暁のために。 未だに戦争が終わらない世界、私たちは、闇を知る者として、光を選び続けたいものです。
