· 

生きてていい

新しい年を迎えると、私たちは自然と気持ちを新たにし、「今年こそは」「少しはいい自分になりたい」と思います。しかし現実には、思うように進めず、人に理解されないまま、心に重たいものを抱えて日々を過ごしている方も多いのではないでしょうか。努力や誠実さだけではどうにもならないこと、言葉にできない事情や痛みを抱えて生きている現実があります。

 「流浪の月」は、そうした「わかってもらえなさ」を抱えた人間の姿を、静かに、しかし鋭く描いた物語です。世間の正しさや常識によって、人は簡単に評価され、ラベルを貼られてしまう。一度貼られたその評価は、本人の声や事情とは関係なく、ひとり歩きを始めます。その中で、語ることも、抗うこともできず、ただ生きていくしかない人の姿が描かれています。

 この物語が私たちに突きつけているのは、「理解されなければ、人は生きていてはいけないのか」という問いではないでしょうか。説明できない私、うまく伝えられない私には、生きる資格がないのかという、深い不安です。

 浄土真宗の教えは、その問いに対して、はっきりと違う立場を示します。阿弥陀さまの救いは、正しく説明できる人、世間に理解される人を条件にしたものではありません。迷い、傷つき、わかってもらえないままの私こそが、そのまま願われ、すでに救いのはたらきの中にあると知らされます。新年は、何かを成し遂げる決意を固める時である前に、そうした確かな願いに立ち返る時でもあります。わかってもらえなくても、生きていていい。その支えの中で、今年もまた、私たちは歩ませていただくのです。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

南無阿弥陀仏