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つまずいた日

今月の言葉は歌手のコブクロさんの「栄光の架橋」という歌から考えました。この歌はアテネオリンピックのテーマで有名ですが、阪神タイガースの故横田慎太郎さんの登場曲としても阪神ファンの心に残っています。横田さんは2013年のドラフトで阪神に指名され、活躍が期待されましたが、2017年脳腫瘍を発祥し、一時は寛解されましたが再発し、2022年逝去されました。23年の阪神優勝決定時、岩崎投手がこの曲で登場し、胴上げ時には横田さんのユニフォームを手にしていたことを覚えています。

 どんなに心が沈み、思いどおりに歩けない日があっても、阿弥陀さまは私たちを見捨てられることはありません。浄土真宗では、人を「つまずきながら生きる存在」として正直に見つめます。欲や怒りに流され、後悔を抱え、思いとは裏腹の行いを重ねてしまう、そうした弱さを抱えた凡夫こそが私たちの姿です。自分の力では清らかになれず、正しくあろうと思っても思うようにいかない。その現実に気づくほど、ますます自分に失望し、歩む力をなくすことさえあります。しかし、そのような「どうしようもない私」をこそ救いたいと願われたのが、阿弥陀さまの本願です。善き者だから救われるのではなく、弱さを抱え、つまずくほかない私をそのまま抱きとり、決して見捨てない、それが「摂取不捨」のはたらきです。私たちが気づけなくても、力が出なくても、阿弥陀さまの光明はすでにこの身を照らし、包み続けています。立ち上がれない日も、涙が止まらない夜も、その光から漏れることはありません。つまずきを恥じるのではなく、つまずく身でありながらも救いの中に生かされていることを味わうとき、歩みはゆっくりでも、また一歩を踏み出す力がいただけます。「見捨てられないいのち」として、今日も私たちは阿弥陀さまの願いの中に抱かれているのです。まもなく新たな年を迎えます。南无阿弥陀仏、阿弥陀さまとご一緒に迎えましょう。今年もお世話になりました。