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心の中に…

 子どもの頃に「嘘をつくと地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるよ」というような話を聞いたことはないでしょうか。嘘をついた夜にその言葉が頭から離れなかった、幼い時にそんなこともありました。

 今の時代はほとんどそういう話やしつけはしなくなったと聞きます。もし今の子どもに言いますと「そんなんあるはずないやん。非科学的や」と笑われるかもしれません。しかし「地獄」を非科学的と片づけてしまっていいのでしょうか。

 今月のこの言葉は、私たちの生き方を深く見つめ直す仏教の教えです。地獄というと、死後に堕ちる恐ろしい場所のように思われますが、実は私たちの心の中にも地獄はあります。 怒り、妬み、憎しみ、自己嫌悪などなど。そうした心が燃え上がるとき、そこがすでに地獄です。けれども人は、そうした心を見たくありません。自分の中にある地獄を見ないようにし、悪いのは他人や社会だと責めてしまう。すると、目の前の世界がますます苦しく、冷たく、地獄のように感じられていくのです。まさに、「心の中の地獄を忘れると、この世界が地獄になる」ということです。

 浄土真宗では、私たちは「煩悩具足の凡夫」であると教えられます。どんなに優しい人も、心には怒りや欲が満ちています。けれども阿弥陀さまは、そんな私を嫌うことなく、「そのまま救う」と誓われました。それが「南無阿弥陀仏」という呼びかけです。地獄の心をなくそうとするのではなく、その地獄を抱えたまま、阿弥陀さまの光に照らされて生きる。そうして初めて、人を責めていた心がやわらぎ、苦しみの中にも温もりを感じるようになります。地獄を見つめ、光に出会う。そのとき、この世界は地獄ではなく、仏の光が届く場所へと変わっていくのです。