
この言葉は、木村世雄氏の「こんなこと書いてある」より引用しました。
ここ数年、本屋の店頭や新聞の書籍こうこくなどから世相を見ていると「心理学」や「上手な生き方」を指南するもの、或いは宗教界から出版されるものであっても、仏や神そのものの教えを説くことよりも、人はいかに生きるべきか、といった主題の作品を多く発表されています。
宗教にのめり込むのはイヤだけれど、心が満たされないという不安を抱えていることの表れでしょうか。宗教と日常の隙間を埋めるものがウケているのでしょう。
若い人は「本当の自分を探したい」とか「今の自分が嫌い」なのでどうにかならないかといった悩みを抱いているようです。そういう自分への問いは大いに結構なことです。
ただ若い人はすぐにマニュアル(的確な手順)を求めたがる少し問題だと思います。受験型の勉強ばかりしてきたが為に、結果としての唯一の正解を求めたがるのでしょうか。ぼちぼち考えることが出来ず、すぐに何らかの結果が出るだろうという様に、自分の生き方の答えをまるで電卓でも押すかのように出てくると考えているようです。
生きていくことの意味は一つではないし、正解なんてありません。
仏教は悩みを捨て去るような努力をしなさいと説くものでなく、ただ自分自身や世界をどのように見ていくのか、という視点を変えてみましょうという「ヒント」を与えるのみではないでしょうか。正解を求めず、問題解決の過程の中にこそ、何かがあるのではないでしょうか。
もし仮に、すぐに正解(のようなもの)を与える即効性のある宗教があったととしても、それは毒物・劇物の類です。クスリを例にとるとわかりやすのではないでしょうか。仏教は体全体のバランスを崩すことなく漢方薬的な宗教です。
飲酒や喫煙を「やめる」のではなく「控える」といった穏やかな改善がやがては功を奏すように心の問題も急な改善を期待しないことが大切を思われます。